英語と人生

英語の練習・学習方法と人生のあれこれ

俺のお袋 - 毒親

俺のお袋は、毒親

異常なほど心配性で不安神経症的性分である。お袋の関心事の99%はいかにして自分の不安を和らげることができるか、である。他人の事情や感情はお袋にとってはどうでもいいことなのだ。自分がいい気分でいられるかどうか、それだけがお袋の関心事なのである。子供である俺の気持ちや人格、感情などどうでもいいのである。つまり自分のことしか考えられないのである。自分の不安感を和らげるために、子供である俺に、やさしい言葉、慰め、思いやりを求める。たとえば、お袋は世界一美しいわ、お袋ほどやさしい思いやりのある女性はいないよ、オードリーヘップバーンより美人やで、などである(笑)。俺はお袋にとってお袋の不安感を解消するための道具でしかないのである。つまり、お袋は決して俺を人間として愛しているのではなく、お袋の機嫌を取る道具として愛しているのである。だから俺が死んでも、俺の代わりになる存在があれば悲しみことはない。しかし、このようなおべっかをいくらお袋に言っても問題は解決しないのである。そういうおべっかを言えば、さらにこれまで以上に思いやりややさしさ、慰めを求めてくるのだ。たとえば、このほくろ、皮膚癌じゃないかな、どうしよう、がんだったらと思うと怖い、なんとかして!と言って迫ってくる。心配なら医者に黙って行けばいい。しかし、自分の不安感を自分で処理せず、人に自分の不安感を和らげてくれ、と迫ってくるのだ。やさしい言葉をかければ、さらに要求は増えていくのである。始末が悪いのは、お袋はやさしい性格でやさしい言葉を自分にかけてくれそうな人間を見抜く力が鋭いのである。そうした性格の人間にやさしい言葉をお袋にかけないと罪悪感を抱かせるように接してくるのである。一度お袋にやさしく接した者には次にやさしい態度を示さないと、冷たい人だね、という態度を示し、相手に罪悪感を抱かせるように仕向けて行くのである。

また、世間体を大変気にする。俺が父親の介護に疲れ会社を早期退職した時も、近所の人に何て言おう、困る、と嘆いていた。

お袋は若い時から毒親であった。兄はお袋からあれしろこれしろ、と命令されても言うことを聞かなかった。だから自我を成長させることができた。親には徹底的に反抗し、途中からはかわすことを覚えた。従って今でも要領がいいのである。しかし、母親から自分は愛されていない、という劣等感を今でもかかえている。

父親も毒親であった。世間体を気にし、学歴を重んじた。肉体労働者を見下した。私は母親譲りの繊細な気性だったが、父親からは好かれなかった。父に好かれようとしていい学歴を得ようとした。父親は母親と同じように自己肯定感が低かったが、お金を持っていたのでお金を利用して自分の子分をたくさん作り、孤独を癒し自己満足に浸った。

俺は兄がしょっちゅう親から叱られ、両親もたびたび喧嘩し、家庭が不安定だったので、家庭が崩壊するのではないかと不安になって、親の機嫌を取ることに尽力した。母親の機嫌を察し、機嫌を取ることに長けていった。中学受験に勤しみ、進学校に進んだ。しかし、自分の気持より親の気持ちに沿うようにしたため、自我の成長は未熟となり基本的な自己肯定感を持つことができず、中学1年の通学途上の電車の中で不安パニックに襲われた。その後、たびたび、身動きの取れない集会や理髪店でパニックになった。

俺は両親の機嫌を取るための道具として育った。23歳の時、うつ病になり精神科を受診し投薬を受け、いまでも服薬している。その原因が両親であることはわかっていた。また服薬すれば社会生活を営むことができた。親の機嫌をとることが上手で親の面倒を25年以上隣に住みながら見てきた。両親から逃げることもできたのだが、不思議にも親孝行しようと考えた。しかし、57歳の今、もう親から自由になりたいと切望している。親を傷つけることなく、親から離れて自由になりたい。

 

お袋の不安感はやさしい言葉や態度では根本的に解消されない。おそらく幼少期に愛情を受けて育たなかったのである。自己肯定感を持てないように育ってしまったのである。同様に俺も自己肯定感がなかなか持てずに今でも苦しんでいる。お袋が寿命がきて死ねば俺は少しは気が楽になるだろうか。